Vision

企業理念

「真の自由を実現する」

近年、「LGBT」「ジェンダー」「性的マイノリティ」といった言葉が急速に普及しています。徐々にではありますが、女の子が女の子を好きになることが、「理解される」世の中になってきました。これは素晴らしい進歩だと思います。

しかし、「理解」とは何でしょうか。女の子に「〇〇ちゃんと付き合ってるんだ」と言われて、あなたは何と答えますか。「そうなんだ、全然理解あるよ!好きな人を好きになればいいと思う!」と答える人を、私は何人も見てきました。これは「理解」なのでしょうか。「△△くんと付き合ってるんだ」と言われて、「理解あるよ!」と答える人はいるでしょうか。女の子が男の子に恋をするのが当たり前なのに、「理解あるよ!」と答える人がいるでしょうか。

「理解」とは、「えっそうなんだ、前から仲いいなって思ってたんだよね~早く言ってよ!」と答えることではないか、と私は考えます。女の子が女の子に恋をすることは、当たり前にあることなんですから。

「男が男に恋するなんてキモイよね」と言われて、あなたは何と答えますか。「それは言っちゃだめだよ、LGBTの人が傷つくから」と答える人も、何人も見てきました。これは「理解」なのでしょうか。「偏見」の目が、ほんの少し、入っているように思うのは、私だけでしょうか。

「理解」とは、「恋をキモイって言われて嫌な思いしない人いない気がするな」と答えられることではないか、と私は考えます。「LGBTの人が」という主語にするだけで、ラベルを貼って「自分とは違う」感じが出てしまいます。そのカテゴリー分け、必要でしょうか。

「LGBTの人はどこにいるかわからないんだからそんなこと言っちゃだめだよ(笑)」時にはこんな言葉も耳にします。

「自分らしく生きる」「ありのままでいる」ことが推進される世の中で、ある意味、「自分らしく生きる」ことがより難しくなっているような気がします。「オカマ」「ニューハーフ」といった言葉は差別語に当たるとされ、現在ではあまり使われなくなってきました。今度は「LGBT」が「オカマ」の役割を果たすようになってきているような、そんな危機感を覚えるのです。

「ジェンダー論」を知っていることが、理解なのでしょうか。「LGBT」を知っていることが、理解なのでしょうか。「性的マイノリティ」「SOGI」「ジェンダーフリー」という言葉を知っていることが、それが、理解になるでしょうか。

もちろん、知ることは理解への第一歩です。これはきっと間違いないでしょう。

私たちは、「知っている」のその先のステージに進むべきときに来ているのです。真の理解、そして真の自由に近づくための大きな一歩を踏み出すたなければなりません。

Frelsiは、男性の足から作ったパンプスを販売しています。それはなぜか。

「日本では靴って体格とか関係なくほとんどの人が履くよね、なのにパンプスは骨格小さめの体に生まれた人のためにしか作られてないのおかしくない?骨格大きい人履けないよ、靴擦れしちゃうよ」

全ての人がおしゃれを楽しめるように、Frelsiは今日も新たなパンプス作りに取り組んでいます。

岡田 紗苗

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